ジャニス・ジョプリンとぼく

こんにちは。マサツムです。

ここでは音楽に関わるひとり言をつぶやいていきます。。

サイケデリック時代のぼく

その昔、ぼくはサイケな格好をしていました。大きなサングラスパンタロン(ラッパズボン)、たまにチューリップハットなんかも被って雰囲気を味わっていました。1960年代〜70年代に学生だったわけではないので、周りには同じような格好の人は誰もいませんでした。

ジャニス・ジョプリンとの出会い

初めてジャニス・ジョプリンアルバムを購入したのが名盤の「PEARL」。最初は完全にオシャレのため。聴いていれば、格好にも似合うしカッコイイ。ただそれだけの理由で車でいつも流していました。しかし、すごくカリスマ性のあるボーカルに次第にハマっていきました。ギターもコピーして遊んでました。ベタベタですが「Move Over」が未(いま)だに大好きです。

専門学校を卒業させてくれたジャニス

僕は当時、専門学校在学中にたくさんの事務所、レコード会社からオファーをいただき、プロミュージシャンになるため東京と実家を行ったり来たりしていました。そのため学校の出席日数が全然足りませんでした。卒業前にプロデビューが決まっていたのですが、なんとか卒業したかったので「論文を提出すれば、原稿用紙1枚につき1日欠席を帳消ししてくれる」という条件を飲み論文を書きました。その時題材にしたのがジャニス・ジョプリン、タイトルが「ジャニス・ジョプリンの生涯」です。卒業するには50枚以上書かないといけなかったのですが、本を買い集めて頑張りました。無事卒業後プロミュージシャンとしての人生が始まりました。

ジャニス・ジョプリンから学んだこと

ジャニス・ジョプリンは若くして亡くなってしまいましたが、現代にまで存在感を残す唯一無二のボーカリストだと思います。子供の頃は個性的でみんなと違うところが多く、馬鹿にされ続けてたみたいです。と出会って自分の理想の声になるため、わざと酒とタバコを毎日飲みながら叫んで喉(のど)を潰(つぶ)し、あのかっこいい声を作り上げました。あの存在感のある倍音のかかった太い声は、こうやって出来上がったのです。ステージに上がる前はいつも「これが最後のステージになるかもしれないから、後悔のないように歌う」という気持ちでライブをこなしていました。そんな彼女から当時ボーカルをやっていた僕は「聴き手を振り向かせる歌」というところを学んだと思います。ジャニス・ジョプリンとの出会いは僕のボーカルスタイル、考え方などに影響を与えた大きな出来事でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

マサツム